イヴィツァ・オシムヘッドコーチを畏怖しすぎるのはよくないことだ
この試合に勝てば上位にあがれる。
その試合に負ける。
JEF千葉がセレッソ大阪に負けた。
「このシチュエーションでたたかえる選手がいないのだろう。プレッシャーに耐えられない選手がいるということだ。」
イヴィツァ・オシムヘッドコーチは語る。
屈辱じゃないか。
著者ならば、すくなくともヘッドコーチ室のノックを叩くだろう。
それを黙認したまま、きみたちはただうなだれるばかり。
きみたちは中学生か、高校生のままなのか。
中盤でのパスミス。
雑なフィニッシュ。
ゆるいプレッシャー。
声をあげて叱咤しあわない。
だれの責任か、指摘されるのをおそれ、こわがる、出場選手の無責任。
リザーブの選手はベンチでたたかっているのか。
負けに理由あり。
敗因をあげればきりがないとおもいがちである。
が、いつも理由は単純である。
チーム内の約束事、シナリオが少ないからだ。
チーム内の会話ができていないばかりか個々の選手間の会話もままならぬからである。
なかよしグループのざれごとしか交わされていないからである。
1軍と1軍半、2軍、それぞれのグループの会話しかないからである。
会話とは練習、試合での忌憚のない意見交換のことである。
ときにキャプテンはヘッドコーチにたいして、いいにくいことであってもいわなくてはならない。
それも重要な会話である。
イヴィツァ・オシムヘッドコーチを畏怖しすぎるのはよくないことだ。
試合をとおしてオシムヘッドコーチと握手すらしない、のではなく、握手できない選手がそのほとんどじゃないか。
かれは指導者とはいえプロのコーチのひとりでしかない。
成績がふるわなければ解雇される。
イヴィツァ・オシムヘッドコーチと堂々と握手するべきであるし、イヴィツァ・オシムヘッドコーチともっともっと会話をするべきである。
それは大切な試合に勝つために。
そのシチュエーションでたたかえる選手になるために。
そのプレッシャーにたえうる選手となるために。
ともにサッカーを愛するならば、オシムさんこそ歩く辞書。
著者ならば、オシムさんには質問攻めだ。(8.25.05)
|