なぜ監督コーチはえらそうに椅子にふんぞりかえるのか
ちびっこたちと河川敷グランドで練習する。
月1回の割合だ。
フルコートはありがたいが、残念なのはそこが土のグランドだということである。
ならびの野球場の外野には芝が緑々としているのに、いまもって球技場は土のままである。
球技場の横にハーフコート?があって、そこは芝生だ。
手入れはあまりなされていない。
そこで50人はいたであろうか、中学校か高校か生徒諸君がサッカーの練習にいままさに入ろうとしていた。
ちびっこたちとシュート練習をするとき、著者はゴールの横に立ち、枠をはずれたボールを追う。
ときにキーパーになったりディフェンダーになったり。
ちびっこたちに声をかけつづける。
それが著者の役目である。
しばしばボールは手の届かないいところへころがっていく。
そのとき、となりで練習する生徒諸君の顔をみておどろいた。
覇気がない。
つまらない。
声は出ている。
といっても、いつものどうでもいい掛け声のたぐいである。
そのなかにひとり、椅子にふんぞりかえって、しかもおっかない顔で座っている人がいた。
生徒諸君がゴールをはずすたびに、かれは、
「いれろよ。」
でかい声でくりかえす。
著者は瞬間に憤りをおぼえた。
教師の、監督コーチのいったいどこがえらいというのか。
かれらよりもさきにこの世に生まれ出ただけじゃないか。
それは教育の目的が、年長者のいうことをきいていれば間違いはおかさない、という思い込みが無反省のまま放っておかれてきたからである。
ちょっとだけましなものがこどもたちに教える。
こどもたちよりもすこしだけ物事について知識あるものが、知識の少ないこどもたちを教える。
それがほんとうのところなのじゃないのか。
教育への期待とはその程度であるべきだし、その認識でたりる。
よき先輩、兄貴分にはなりえても、頭ごなしに命令をだせる資格なぞあろうはずがない。
これは軍事教練の悪しき風土が脈々と、しかも堂々と跋扈(ばっこ)するとしかいいようがない。
だからニッポンは戦争に負けたのではなかったのか。(8.15.05)
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