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ヒデ中田英寿選手がいてもいなくてもだいじょうぶ
東アジア選手権対北朝鮮戦、そして玉田圭司選手への不満
東アジア選手権、北朝鮮に負けた。
臆測である。
もし、今回の代表チームに中田英寿選手が加わっていたら、ましなたたかいができたであろう。
なぜなら世界でたたかうかれ中田英寿選手はチームに漂う一瞬の気の緩みをのがさず察知し、指摘し、そこに警鐘をならすからである。
ゆえにチームは緊張感を維持する。
試合後にいうあとづけのコメントとはわけがちがう。
宮本恒靖キャプテンよ、中澤佑二選手よ、川口能活選手よ、いい加減に気づいてくれ。
総体としてのチームは箍(たが)がゆるんでいた。
そういうことである。
コンフェデレーションズカップからわずか1ヶ月半で、チームはなりさがる。
著者はコンフェデレーションズカップ、東アジア選手権と肉体、精神ともにピークの状態でワールドカップアジア最終予選対イラン戦をむかえるものだと考えていた。
そこで解散。
その後の気の緩み、建て直しのむずかしさについて以前書いた。
が、なんのなんの。
1ヶ月半で、このざまである。
国内組で、このていたらく。
いったいなにがしたいのだ、
どうしたいのだ、
どこにボールがほしいのだ、
なぜ交代か、そのわけを詰めているのか、玉田圭司選手。
大きな声で、
「足元によこせ。」
大きな動作で、
「ここのスペースに出せ。」
そう伝えなければ、わかるはずがない。
なぜそうしないのか。
きみのプレースタイルに、
「大きな声で、大きな動作でボールの要求をする。」
という項目を1行ふやすだけではないか。
それがそんなにむずかしいことなのか。
全身で、身振り手振りでたたかう戦士を、ジーコは絶対はずしたりするものか。
まだわからないのだろうか。
きみのライバル大久保嘉人選手はきょうもスペインで揉まれているんだぞ。
かれの負けん気を見習うべきじゃないか。
また中田英寿選手の存在が不可欠であることが、漬物石ののった漬物のように、じんわりと、しみてくる。
それは中田英寿選手がいない場合をも想定しなくてはならない、2重の手間をしいることになるということでもある。
中田英寿選手が出られません、はい、試合は負けました。
それでいいのだろうか。
ヒデがいなくてもだいじょうぶ、ではなく、ヒデがいてもいなくてもだいじょうぶ、にならなくてはいけない。
急を要す。(8.1.05)
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