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なにを、どこを修正すべきなのか JEF千葉、佐藤勇人選手
試合後の選手へのインタビューをきいていると随分といい加減なことをいっている。
「1点目の失点は防げたとおもう。」
などという。
防げなかったから失点したのにもかかわらず。
それを記者にではなく、チームメイトにむかって主張しているのだろうか。
記者へのリップサービスにおわっているのではあるまいか。
「ボールのとられかたが悪すぎた、次回は修正したい。」
ジェフ市原千葉の佐藤勇人選手は、この修正という言葉を多用する。
次の試合をみていても、はたして修正されているのか、いないのか。
おなじような試合を繰返すのだもの。
ほんとうに修正したの?
なにを、どこを修正したの?
たずねたくなる。
それとも、観るがわの、客の目がくもっているからなのだろうか。
著者はおもう。
練習への挑みかたから変っていないからだ、と。
否、日々の生活態度から変っていないからである。
そういった深刻さに気づかないから、修正などといういわば小手先の調整でたてなおせると勘違いする。
選手諸君は大した問題だというふうに感じていないのだろう。
ゆえに根本から考え直すことができない。
FC東京の加地亮選手が変ったのはなぜか。
考えながら練習し、そして試合に挑むからである。
かれは修正などという言葉は使わない。
自分が修整すれば済むことを識っているからである。
かれはワールドカップ予選というそれまで感じることのなかったプレッシャーに面とむかった。
尻込みしかけた。
そのときだ。
かれは、まえへ出よう、まえに出るのだ、それがオレだ、といいきかせた。
いざ試合。
おもいとは裏腹、またもやかれはまえに出られなかった。
この反省がバネになり、かれははじけた。
佐藤勇人さん、修正するのはまず、ジェフ市原千葉の攻守の要、そしてリーダーとしてのあなたの気持ち。
そこからではあるまいか。(7.4.05)
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