大砲と機関銃、バレーボール
大型ブロッカーを相手に、ワンタッチやブロックアウトを狙ってのスパイクはよさないか。
それをしてテクニックがあるといういいかたも。
見苦しい。
あわれですらある。
相手のコートにうちつけてこそのスパイクである。
そのためにどうするか。
それが攻撃というものである。
ちなみにブロックは迎撃だ。
この国では、バレーボールセンスを持つひとは中、小型選手におおい。
状況がよくみえて、しかも効率の良い攻撃ができる。
いわゆる機関銃である。
だが世界をみまわすともはやこの機関銃では時代遅れであることがわかる。
物騒なたとえになるが、世界はバルカン砲になっている。
こまわりがきくだけでは通用しない。
国内リーグでは有数のテクニシャンも、世界のまえではあっさりとシャットアウトをくらう。
ジャンプ力がずばぬけている、到達点が世界クラス、ならば上背は気にしまい。
ただ、思い切りがいい、とか、切れがいいスパイクをうつ、センスがいい、というだけでは内弁慶しか生まない。
候補選手が不作だとでもいうのだろうか。
候補選手をピックアップする側にこそ問題があるのではないのか。
だれにでもわかる規準点をもうけ、それ以上の能力をもつ選手から全日本チームをたちあげるべきだ。
意欲あるものを。
もちろん的確なコーチングができる、
最重要な規準である。
それなぞは上背のあるなしをとわない。
ニッポンのバレーボールをみていると、声はそれぞれ出ているが、ただ出しているだけで、考えられて発される言葉、意思ある言葉ではない。
どうでもいいことをいっている。
状況を判断する声ではない。
だから混乱のまま、なすべきことを見出せず、ただ失点を重ねる。
変化を促す声でもない。
ゆえに接戦で負ける。
それは小、中、高校生の練習から顕著である。
「いくわよ〜、そ〜れ。」
この次元を出ない。
「どんまい、どんまい。」
それは声をあげているだけである。
しょうがないさ、指導者は指示、命令をだすだけで、選手間のコーチングの訓練がまったくなされていないのだもの。
フットボールサッカーから学べばいいじゃないか。
手本ならいくらでもある。
どのようにして世界とわたりあうか、見習えばいい。
それと、応援の仕方もかえるべきときがきている。
著者は感じている。(7.22.05)