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復興せよ、全日本男子バレーボール
待望は190センチの大型セッター。
それと強力なブロックと、パンチ力をかねそなえる大型センター。
スーパーエース山本隆弘選手を活かすも殺すもそのセンターしだいである。
理想はすでにある。
ソビエト連邦時代のアレクサンドル・サビン、ヴィアチェスラフ・ザイチェフのあのコンビネーションである。
いざというときサビン選手は、
クレムリンの赤い壁となってわれわれのまえに立ちはだかり、
ここぞというとき、
かれらはこともなげに速攻をきめた。
サビンがくる。
わかっていてもとめられなかった。
飄々としていながらも、その圧倒的な存在感はバレーボールの歴史において空前にして絶後である。
かれらの登場がその後の6人制バレーボールの模範となり、世界に膾炙する。
それは時をおなじくして全日本の凋落のはじまりでもあった。
著者はソウル五輪、サッカーアジア地区最終予選、ニッポン対中国を国立霞ヶ丘競技場で実際に見たひとりである。
引分けで出場がきまる。
そこまできたことがあった。
韓国が競争相手にならないケースは韓国での自国開催のみである。
オリンピック出場のまたとない、絶好のチャンス。
まさに千載一遇であった。
が、またしても掌から砂がこぼれるごとく、ニッポンはチャンスをうしなった。
そのとき、
ニッポンのフットボールサッカーは今後永遠に、世界大会に出場することなど無理と観念した。
ワールドカップなぞは夢の夢。
それは絶望的ですらあった。
著者は忘れない。
わがニッポンのフットボールサッカーは、そこから出発したことを。
それにくらべれば、バレーボール全日本男子の苦悶なぞ、屁でもないじゃないか。
なぜならば、過去に栄光を勝取った先達は、われわれとおなじ空気で呼吸し、われわれとおなじ日本語をあやつる。
それだけをもってしても復興の可能性はすでに準備されている。
自信をうしなっているのならば、
どのようにして自信は形づくられていくのか。
それを知るまたとない機会。
手にするものと、懐にないものを、まず整理することからはじめればいい。
いまからでも北京は間に合う。
充分に間に合う。
外国籍チームマネージャーの招聘もひとつのアイディアになるだろう。(6.25.05)
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