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ニッポンは挑戦者である
コンフェデレーションズカップ、U-20ワールドユース選手権と世界大会が催されている。
両ニッポン代表チームに世界の壁とやらがたちはだかる。
まただ。
ニッポン代表は試合への挑みかた、幕の引きかたにチームとしての意思統一がなされていないのではあるまいか。
まるで王者のごとくのふるまいである。
王者ではない。
にもかかわらず。
前半は失点を抑えて、後半勝負。
と、偉そうな言葉をはいているじゃないか。
ニッポンはこういうたたかいができるのかどうか、検討されてもいないのに。
選手諸君、そのとりまき、メディアにいたるまで、簡単にいいすぎるぜ、まったく。
大切なことは、
われわれは挑戦者なのだ、
という心構え。
どんなことをしても点をとって勝つ、
という貪欲。
世界大会こそ名を売る絶好のチャンス、
という野心。
それがチームから感じられない。
だから世界の壁という輩をもちだされるのである。
世界の壁といったって、そんなものははじめからない。
世界の壁とはなんぞや、と実証を怠るものが多用する思考停止の、逃げの言葉でしかない。
ワールドユース初戦オランダ戦。
地元開催で高揚していたこともあろう、オランダチームは果敢に攻めた。
それはまるで挑戦者のものだ。
後半、オランダチームの足がとまる。
それはそうかもしれない。
が、その心配はオランダのものである。
先行するのがオランダのたたかいかたなのである。
オランダのファンはそれを望み、チームは応えた。
オランダはオランダをした。
それが素晴しい。
ニッポンはニッポンをする、そのニッポンがいまだにない。
足に不安を抱えるから後半から出場させる。
それは逆であるべきだ。
足に不安を抱えているがゆえに、前半から出場。
行けるところまで、目一杯はたらいてもらう。
そうあるべきである。
たとえば、スーパーサブ。
無反省につかいすぎる。
結果が出てこそのスーパーサブ。
結果もなにもでていないのに、スーパーサブとは、たんに補欠の別のいいかたじゃないか。
そんなに優れたスーパーサブならば試合のはじめから使わない手はない。
そうおもうのは、やはり著者だけなのであろうか。(6.20.05)
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