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プロ野球にあって、
ニッポンのプロフットボールサッカーに欠けているもの
JEF市原千葉のアウェイ川崎フロンターレ戦、ホームのサンフレッチェ広島戦を観戦した。
サンフレッチェ広島戦。
後半はシュートミスをくりかえす。
シュートを決めるのにはむずかしい状況も数多くあった。
それはたしかなことである。
が、個人攻撃はしたくいないけれど、どうみても、あの練習では精度があがるわけがないよ、林丈統さん。
毎試合、サブスティテュートのきみはハーフタイムのときにフリーキックを蹴って、そのほとんどがゴールをはずしている。
ましなときですら、5割にも満たない。
だから試合でもミスをする。
それも決定的なところでおんなじミスをくりかえす。
やっぱり練習のときから、ミスを減らしていかないからだとおもうんです。
ミスの内容、性質が、練習のときのものも試合のときのものも、かわりないんだもの。
あれじゃぁ決められるはずがない、
と練習をみて確信したことは前回のコラムで述べた。
そうして実際に試合をみておもうことは、
やっぱりな。
もっと練習から観客をよろこばせてもらいたい。
さすがはプロフェッショナルはちがう、と。
ボールがゴールに吸いよせられている錯覚をおこすようなシュート。
そこでこそ納得させるべきである。
練習でおかねがとれる。
著者と同郷の野球好きの大先輩は、あるときの読売ジャイアンツ篠塚和典内野手のことをそういった。
かれの守備練習をみているだけで楽しい。
あれなら、練習でかねがとれるよ。
グラブさばきからスローイングまで、うまいんだなぁ。
かっこいいんだよ、所作がね。
あるときなぞ試合前の篠塚和典選手の守備練習だけみて帰ってきたこともある、
という。
試合開始まえの、ハーフタイムにくりひろげられる派手な演出をみたいんじゃないんだ。
サッカーをそのなりわいとするひとたち、えらばれしひとたちの、まるで足や胸に吸盤がついているかのようなボールタッチ。
低くて強い弾道のボールをビシッと力まないで蹴るときの、竹がしなるような足の残像。
ゴールに空気が吸込まれているかのような正確なシュート。
著者がW杯でみたイングランド代表の練習風景である。
ここにこそ子供たちの視線は向いている。
そのことを肝に銘じてもらいたい。(5.6.05)
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