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これを報道とは呼ばない
スポーツ報道をみていると、
そりゃぁないぜ、
といいたくなることがある。
たとえば、メジャーリーグ。
テレビでのそれをみていると、
今日のメジャーリーグ、
と、うたってはいるが、ただの日本籍選手の成績の告知だけであったりする。
日本籍選手の所属するチームのみの試合結果だけをしらせる。
速報では、個人成績のみをアナウンス、ときに試合結果すら報じないことがある。
おしらせならいざしらず、これを報道とは呼ばない。
ローカルで、たとえばイチロー選手こと鈴木一朗さんの出身地、中部、愛知圏で、
「きょうのイチロー選手、4打数2安打。23試合目のマルチ安打。」
おしらせで終ってもいたしかたあるまい。
(マルチ安打・・・こういういいかたもヘン。今シーズンの2安打以上は23戦、
ちなみに昨シーズンは○○戦、といえばことたりる。なぜマルチをつかうのか)。
が、全国紙、全国ネットワークをもって任ずるのであれば、
まず、リーグの結果。
次に、勝敗表は欠かせない。
それなしでは長期シーズンを感じとれず、一喜一憂におわる。
木をみて森をみず。
こたえをいそぐ、せっかちさは、いがいとこういう日常の積重ね、日本語のフィ
ルターを透したときにおこる、お約束の考えかたの癖、お約束の感じかたの癖、お約束の報道の癖、によってもたらされているのかもしれない。
文句をいわない読者、視聴者にも問題はある。
が、やはり送り手としてのメディアの責任は大きい。
オリンピックなど短期集中型の大会報道はまだまし(情緒的に過剰だけど。)なのに、1シーズンのリーグ戦になるとまとまりを欠く。
経験がないからであろうが、国内国外を問わず、スポーツ報道の基本として、
ジャーナリスト必携にくわえればすむ。
まだサッカーがこれほどの注目を浴びていなかったころ、報知新聞(現スポーツ報知)の海外サッカー情報、それもたった数行を読むことがどれほどのたのしみで
あったことか。
著者はそれだけが読みたくて月、木曜日には報知新聞を購った。(5.18.05)
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