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J2にこそイヴィツァ・オシムを
テレビでJ2の試合をみる。
注目度がJ1のそれほどないからか、緊張感を欠く。
間延びして、つまらない。
退屈である。
ボールへの執着は弱く、すぐあきらめてしまう。
頭数をふやせばディフェンスできる、とおもっているようである。
だからラインは高くできない。
センターラインあたりからのプレッシャーはほとんどなく、ゴールまえの、25bあたりでのボールのとりあいに終始。
サイドからの攻撃もまばら。
190aをうわまわるニッポンの宝となる可能性をもつ大型フォワードをいかせない。
そのチームマネージャーのもとで現役をつづけていたら、かれもただの大型フォワードで終ってしまうだろう。
ああ、もったいない。
これはヘッドコーチたるチームマネージャーの能力が低い、というよりも、かれらのおおくがなにも考えていないからにほかならない。
横並びのライセンスを得て、資格はある。
人並み以上の知識もある。
J1での試合経験もある。
それだけのこと。
チームづくりに関しては、ずぶの素人の、そのひとりにすぎない。
いままでがそうであったからいたしかたない、といえばいたしかたない。
けれどそのままじゃ、なんにも始まらない。
どういうチームをつくりたいのか判然としない。
チームマネージャーがすべきことはまず、チームかくあるべし。
この確認。
このチームをつくるのだ。
そのヴィジョン、意志なくして強いチームはつくれない。
サンプルにすべきチームはすでにある。
アリーゴ・サッキのACミラン、クライフのときのオランダ、バルセロナ。
ベッケンバウワーのドイツだっていい。
マラドーナのナポリ、アルゼンチン。
なんだっていい。
どのチームでサッカーがしたいのか。
このイメージ。
ラモス瑠偉、ジョージ与那城の読売か。
ファンバステン、グーリット、ライカールトのオランダか。
好きなチームがないはずはない。
それは強いチームでもあろう。
強いチームならばその数は少ない。
ファンバステンがいないからファンバステンのいたチームはつくれない、のではない。
ファンバステンはいない。
だからファンバステンいじょうの選手を育てる。
できるかできないか、ではなく、明確な目標があるか、ないか。
それがヘッドコーチたるチームマネージャーの仕事である。
トップがかわればチームはかわる。
が、トップがかわらなければチームはかわらない。
著者は提言する。
J1への昇格を期すのであれば、
試合で、選手を走らせられる、そのための練習メニュをつくれて、
ユーモアがあり、
シニックで、
大柄で近寄りがたく、
比較的おしゃべり好きな、読書家で、レーニンの著作も読んでいて、
愛妻家、
子供はすでに成人していて、
地震嫌い、エゴイスト嫌い、
持病もちで、
若いころ日本にきたことがあり、
日本を尊敬していて、
ヨーロッパのサッカークラブでユース、ジュニアユースコーチの経験があり、
地味ではあるが、知る人ぞ知る、屈指のチームマネージャーとしての人望、実績がともにあり、
自国代表チームマネージャーの経験をもち、超一流選手からも慕われていて、
自身も元プロ選手でディフェンダー、
破格な契約ではないが、契約には慎重である。
こういうひとを招聘するべきである。
選手にではなく、チームマネージャー(ヘッドコーチ)にこそ大枚をはたくべきである。
そのほうが選手がこうむる故障で頭を悩ますことはない。
たとえばJEF市原千葉のヘッドコーチ、イヴィツァ・オシムはかれの片言隻句が「オシム語録」として書店にならぼうとしている。
そうして苦しいチームの財政に多少なりとも寄与するという場面もでてくるのである。
観客増は望めないが・・・。(5.16.05)
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