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ちびっこたちになにを教えられるのだろうか
ちびっこサッカースクールがあちらこちらで催されている。
毎日というのはさすがになさそうであるが、いちにちおき、週2回から3回とい
うところだろう。
教わるほうも、教えるほうも、双方くたびれないのだろうか。
あきないのだろうか。
くたびれると集中なんかできっこないし、だいいち、身につかない。
著者の場合、練習は週に一度。
雨は即中止。
月に一度休みがはいるから、中1週間、ときには中2週間空くときもある。
そうなると、ボールが蹴りたくってうずうずしてくる。
公園でボールをこねるわけにもゆかず、部屋で布団相手にプレスキックの練習だ。
入念なストレッチをはじめたり。
もう練習にいきたくって、いきたくって、練習日がまちどおしい。
いざ練習。
なんてたのしいのだろう。
物事は充分にあるをよしとせず。
なべて、すこし足りないほうがいい。
著者はちびっこたちには教えない。
いったいなにを教えられるというのだろうか。
ただ、ちびっこたちに伝えられることはあるはずだ。
それはボールを蹴るたのしみ。
ゴールすることのよろこび。
しいて教えてあげられることといえば、正確にボールを蹴る方法(もちろん受け
売り)くらいなものか。
年下のコーチに教わって、なるほど合点がいったからである。
これだって、忘れてしまうことしょっちゅうである。
そうしてミスの連発である。
ゴールキーパーがいてもいなくても、ディフェンダーがいてもいなくっても、
ゴールをはずす。
サッカーはミスのスポーツ。
そのミスを減らすために練習する。
ちびっこたちに教えるというよりも、おたがいに注意を喚起しあう、とするが
よろしい。
フリーということの意味。
スペースへ走るということの意味。
このことについては試合をみながらちびっこたちと熱っぽく話している。
何事も本質はきわめて簡単なのです、 という服部正也さんの説に合点がいくからである。(5.12.05)
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