岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  こうして小野伸二選手は復活する

 コマーシャルで見ると、子供のころの小野伸二選手はずいぶんとトリッキーであったようである。
 あそびごころがあった。
 サッカーがたのしくてしょうがない!
 といったふうである。
 それはロナウジーニョ・ガウショに通低するものである。
 こどもあつかいされているのに、それをもって悔しいというおもいにさせない。
 伸二は特別だから。
 相手をして納得させてしまう。
 そういう選手はいない。
 それほどにかれの技量は卓越していた。
  
 が、最近のかれの試合を観ていると、子供のころはあくまでも子供のころのこと。
 相手が同級生かそれ以下だから、通用したのかもしれない、とかんぐりたくなる。
 
「・・・ちがうんじゃないのか。」
「・・・どうしたんだ?」
「・・・たのしくないんじゃないのか。」
 どこかすっきりしない。
 
 かれのプレーに壮快を感じないのは、かれ小野伸二選手自身が迷いを抱えたままであるせいではなかろうか。
 そんなことはない、というのであれば、そのことに本人が気づいていないからなのではあるまいか。
 
 左右両足で蹴られて、しかも精度が高い。
 小野伸二選手のうりである。
 世界広しといえども、両足に高精度のキック力をもつフットボーラーは少ない。
 中田英寿選手もおなじ希少価値をもつ。
 
 オリンピック予選でこうむったファウルによる大怪我。
 それ以降も尾をひいているのだろうか。
 それほどに怪我のショックは深手を負うのかもしれない。
 肉体は事故以前よりも強靭になったにせよ、つかさどるハートに、すこしでも翳りがあるだけで、精彩を欠く。
 
 時間は解決しない。
 小野伸二だけが小野伸二を蘇らせることができる。
 
 両の手をいっぱいにつかい、全身で、
 油断するな、
 そとへ出せ、
 つめろ、
 かこめ、
 いいぞ、その調子だ。
 強く、簡潔なメッセージをチームメイトにおくりつづけ、
 落ち着け、
 あわてるな、
 試合がおわってからよろこべ、
 たちあがれ、
 さあ、いくぞ、
 くやしくないのか、
 絶対に勝つ。
 チームに喝をいれつづける。
 
 試合中、なにかを全身で表現しつづけている。
 そんな光景がみられたときに、
 小野伸二は復活した、
 といえるのである。(4.18.05)





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