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横浜Fマリノス岡田武史監督、あなたはまちがっている
誤審にたいして恬淡だということはすなわち勝負に恬淡だということを意味する。
だからワールドカップ1998年フランス大会前、1勝1敗1引分だなどという勝手な予想をして、チームの戦意を喪失させていることに気づかない。
たたかうまえから負けを予想するヘッドコーチがどこの国にいるのか。
それをまっとうな評価だというマスコミがどこの国にいるのか。
ここ日本にしかいまい。
その結果の3連敗である。
では、そこに反省はあったのか。
おなじワールドカップ初采配のジャマイカのシモンエス監督の緻密はみられなかった。
岡田武史監督、あなたは間違っている。
外国籍の監督ならば、こうもあっさりと引下ったであろうか。
線審にたいして、
「かれら(線審)のミスがわたしの職を奪うかもしれないのだ。」
といったトニーニョ・セレーゾを、はたして笑えるのであろうか。
その勝ち点3が最後に優勝を左右するかもしれないという想像は笑止にすぎぬのだろうか。
著者はおもう。
ミスはやはりミスであり、ミスはミスでしかない。
誤審するな、といってもひとには誤審はついてまわる。
間違える。
それがひとであるからである。
審判の誤審と審判に抗議しても判定はくつがえらないから抗議しても無駄だという判断は別のところで語るべきである。
抗議しない、はフェアプレーではけっしてない。
審判に抗議することがアンフェアではないのである。
勘違いしないほうがいい。
開幕戦でおきたことはJリーグの現状を象徴するものである。
早急に対策を講じ、2度とおなじミスを繰返さないよう対策をねるべきである。
試合内容もおそまつで、そのうえあんな結末で勝負が決したと、考えてみただけで恥ずかしい。
ビデオを導入すればいいじゃないか。
その判断を一線級とみとめた審判員にしてもらえばいいじゃないか。
費用はかかるだろう。
が、もうひとり審判の雇用を増やせると考えればいいじゃないか。
それくらいの経費はあろう。
だいいち、くだらないミスの所為にしなくてすむ。
因縁も生じない。
判断基準を明確にし、こういう場合はビデオを使った審判をする、といえばことたりる。
ビデオを導入しないのならばその代案をすみやかに出すべきである。
世界でやっていなくても、日本独自の方法でもいいじゃないか。
間違えたらやり直せばいい。
誤審を誤審のまま放置するということは誤審した審判員に一生涯ついてまわる重石、足枷を強いることになる。
いかに誤審を審判員一個人の問題ではなく、システムのなかでの問題として捉えるか。
万全をはかる。
それこそがフェアープレーとなりえる。
著者は信じる。(3.6.05)
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