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追悼リヌス・ミケルス
全員攻撃、全員守備のトータルサッカーを発案。
1965年から1971年までオランダ・アヤックスアムステルダムの監督。
元オランダ代表監督。
1974年のワールドカップ西ドイツ大会は、優勝した西ドイツチームよりも準優勝したオランダチームの印象のほうが強い。
おどろきは予選リーグ、オランダ対ウルグアイ戦のひとこまである。
ウルグアイの選手が自陣でボールをキープしていると、オレンジ色のユニフォームが5人スルスルッとあらわれて空色のユニフォームのウルグアイ選手を囲み、ボールをうばおうとする。
2人や3人ではない。
5人である。
トータルサッカーは、はじめに構想があってできたのではあるまい。
戦術への理解力、運動能力が一定以上に、しかも攻撃意識、守備意識ともに、それこそサッカーについての必要とされる精神上の、技術上のテクニックがトータルにそなわった選手がそろってこそはじめてなしえたのである。
ヨハン・クライフがひとり目立って見えるが、他の選手もヨハン・クライフとほぼ同等のトータルフットボール能力を備えていたことはまちがいない。
たまたまなのではあるまいか。
なぜならばそれ以降トータルサッカーと呼ばれるチームは存在しない。
構想があってできたのではなかろう、とはいった。
そもそも全員が攻撃できて守備もできるのであるならば、それこそが究極のチーム。
そのチームは強いにきまっている。
ゴールキーパーをのぞいて、やれディフェンスだ、フォワードだ、とポジションをきめる必要はない。
あるのは事前の約束で、
ここにポジションをおくものが前へ行くときは、ここのポジションのものがカバーする。
ここのスペースはここのポジションの選手が掃除する。
すべてがオートマチックであることが想像できる。
判断を要しない。
それは選手個人に判断させないといった条件反射の考えかたとでもいえようか。
できることをするまでである。
無理を強いることがないのだから、ゆえに、選手の精神的な負担はすくない。
その分を攻撃のアイディアに集中する。
だから攻撃がヴァライティに富む。
リヌス・ミケルスはフットボールのマネージャーにならなくとも、ワイン醸造家としても成功したに違いない。
なぜならば、かれリヌス・ミケルスはいろいろな素材をもったパーソナリティーをチームとしていかに熟成させるか。
この能力に長けていたからである。(3.4.05)
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