岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  イラン戦、敗北の理由

 イランに負けた。
 選手諸君やジーコにも、
「なぜ負けたのか?」
 その理由はだれにもわかっていないのだろう。
 だから4バックか3バックかといったシステムのせいにしてみたり、戦術の不徹底だといった、見たまま、聞いたままの範囲をでることがない。
 わかっていることといえば、イランが2点を奪い、ニッポンは1点を奪うのみであった。
 そのとおり!
 ジーコのいうとおりである。
 
 問題はフォワードの役割とその役割への固定観念、その誤解にある。
 システム、戦術について云々するまえに整理すべき事柄である。
 
 高原直泰選手、玉田圭司選手は画面から消えていた。
 ということはボールがかれらに渡らなかったことを意味する。
 ふたりはともに孤立した。
 ボールがこなかったというコメントがその事実を裏付ける。
 
 では問う。
 ならばボールをもらうための工夫はしたのか?
 ボールをもらう、そのために動きまわったのか?
 もし、ボールをもらう工夫も、そのために動きまわることも、
「もちろんボールをもらう工夫はした。」
 と声低く語るならば、
 それでもボールに触れられないのには別の理由があるからだと考えたのか?
 その打開策を講じたのか?
 アイディアに不足はなかったのか?
 
 マークがきつくてどうしようもないのなら、中田英寿選手、中村俊輔選手とポジションを代えればいいだけじゃないか。
 フォワードだからとつねに最前列にいることはない。
 フォワードでもミッドフィールドでも、もし攻撃する意志があれば、ポジションなどにとらわれることはない。
 
 必要なのは、ゴールゲッターであり、そのサポートなのだ。
 
 サッカーはシュートを撃つ、その意志を持つものがボールを要求し、配球コースを指示する。
 中盤がシュートのお膳立てをするのではけっしてない。
 シュートを撃つ、この意志をもつものだけがイニシアチブを持つ。
 それをフォワードの位置にある選手(ゴールゲッター)、とすべきなのである。
 それゆえにゴールゲッターは高給を得る。
 ことわっておくが、ディエゴ・マラドーナの素晴しさはそのゴールへの嗅覚、判断にこそあれ、中盤の遊びでの巧みさにあるのではない。
 
 イランとニッポンの違い。
 それはフォワードの位置にあるものの考えかたのちがいである。
 得点を稼いだほうが勝つ、この基本を忘れることなく忠実に実行したものが笑った。
 それだけのことである。
 ホームで勝つだけである。(3.28.05)





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