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バリアー その6 遊びが練習
毎土曜の午前2時間の練習でいっぱいいっぱいである。
帰宅しても、しばらくはなにかをしようという気がおこらない。
同輩のおおく(ちびっこたち)は、練習が終ったのちもサッカーをする、野球をする、といそがしいらしい。
そのタフネスぶりには驚かされる。
練習の合間、水補給のための小休止ですらかれらのおおくは水も飲まず、シュート練習したり、リフティングしたり。
水を飲みなよ、といったところでかれらは聞く耳をもたない。
水飲まないと上手にならないよ。
といって、それでもなんにんの同輩が水を口にするだろうか。
そんな姿をみていると、著者なぞは、かれらがすすんで練習に励んでいるとおもってしまう。
かれらとてうまくなりたいのだ、ともおもう。
ほほえましい、とすらおもう。
が、かれらは練習などしてはいない。
丸いボールを蹴っとばすのが楽しい。
だから蹴る。
かれらは遊ぶ。
だれかにいわれてする練習はつまらない。
けれど遊びならべつ。
遊びなら、だれかにいわれなくたって、すすんでするし、とっくに遊んでいるよね。
だって楽しいんだもんナ。
練習が遊びで、遊びが練習で、人生が遊びで、遊びが人生で。
そんなのって可能だろうか。
たぶん考えかたしだいであろうし、また、こころの持ちかたでいかようにもなるとはおもう。
ただ、こどもたちが、あっさりとそれを実現していることは意識していいだろう。(2.4.05)
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