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たわけるテレビ、これがニッポンのテレビの実際
癒し。
無反省につかわれてはいまいか。
それでも最近は食傷気味とみうける。
精神を語る番組のはずなのに、なぜそこに先祖だとか心霊だとか魂、はては前世というわけのわからない言葉がポンポンと出てくるのか。
精神を語ることと霊魂について語ることとはそもそも次元がちがう。
まじわることのない事柄なのに、それでは味噌も糞もいっしょじゃないか。
視聴率という色でしか見ないから糞と味噌の違いがわからない。
臭いを嗅げばだれだってわかることなのに。
放送業界とはそんなに節操がなくなるものなのか。
スピリチュアルという、わけのわからない外来語を使い、そこで、
「あなたの前世はたぬき。」
語られることの奇異。
とんちんかん。
実際にかわされていることはスピリチュアルどころか、なんのことはない、単なるオカルトであったりする。
たちの悪いショーである。
それをゴールデンタイムに放送する。
番組を見るほうの責任、番組を作るほうの責任。
折半なのか。
精神を語ることは、教祖が先祖や霊魂をさらすことでも、過去現在将来について、無責任に一方的にまくしたてることではない。
大晦日、NHKの紅白歌合戦という宴の後、ニッポン各地の寺社からの中継、その静謐にこそある。
電波にのせて公にする。
もうよせ、そんな愚は。
占いを、部屋での問答に帰すべきである。
放送会社は視聴率という虚数のみを追う。
だからなにも考えていない、と、揶揄される。
無関心でいられるのは、多額の広告費にあぐらがかけるからである。
大量の株を買われ、足元をゆすられた挙句のすったもんだ。
それとてのどもと過ぎれば熱さなぞ忘れちまう。
その反応はまさに神速。
いま世界は安全か。
いまアメリカは安全か。
われわれの家族は安全か。
アメリカのABC放送が作ったニュースの価値基準。
猟奇的な事件はないか。
おいしいものはないか。
癒しのネタはないか。
これがニッポンのテレビの実際である。(11.28.05)
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