岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  高橋尚子さんがかえるところ

 高橋尚子さんが東京国際女子マラソンに出場する。
 ところが右足に肉離れがあるという。
 にもかかわらず強行出場するという。
 高橋尚子さんは勝ちを焦るのか。
 それとも結果を焦っているのか。
 肉離れで走るということは、無理をしいることだ。
 東京国際女子マラソン以降の試合はあたまにないのか。
 無理をして、いったいどのような症状をまねくのか、想像できないのだろうか。
 で、勝ってどうするのだろう。
 無事で終るはずもないのに。
 高橋尚子さんはもう終ってしまったのだろうか。

 著者は東京国際マラソンの2日まえ、メモに書いた。
 負けたときの言訳なのか、と。

 当日、東京国際女子マラソンは見られなかった。
 夜、テレビで高橋尚子さんが勝ったことを知った。

 テレビのスイッチをけして著者はおもった。
 あれは言訳ではなくて、不安を語ったものであったのかもしれない。

 かのじょを応援するだれよりも高橋尚子さん自身がいちばん不安であったにちがいないのだ。
 かのじょが恃むべきもの。
 それはかのじょを唯一のたのみとする相棒たちでしかない。
 すべての一切を離れて、独り立ちする。
 その環境の変化とも格闘をせねばならなかった。
 すべての責任はかのじょ自身にかえってくる。

 眠れない日もあったのではないか。
 走れない夢を見たのではないか。
 そこにいたのは、かつてオリンピックを制した王者の勇姿ではなく、選考に破れ、目的を失い、走ることを断念しかけた、走ることしかできない、とおもってい るひとりの女性でしかなかった。

 報道は、
「おかえりなさい。」
 という。

 いったいかのじょがどこにかえってきたというのだろう。
 かのじょがかえるべきところ。
 それは相棒たちのいるところ、そこしかないはずじゃないか。(11.21.05)





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