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個性がない、ジュニアユース、ユース世代のこどもたち
ジュニアユース、ユース世代のこどもたちを見て、多くのおとなはつぎのように慨嘆する。
「上手なんだけれど、みんなおなじようなサッカーをする。」
で、著者は翻って、
「そういったこどもをふやしているのはだれなのですか?」
糺したくなる。
テクニックをもつことは褒めるべきこと。
上手こそ上達のあかし。
それをもって、
「テクニックだけはもっている。」
へんちくりんな物言いは即刻、止してもらいたい。
上手である。
まずはそれを率直に認めること。
褒めるときは具体的でなければいけない。
それがおとな側のステップその1である。
上手なのに文句をいう。
そんなばかげたことを見すごしてはいけない。
テクニックこそがサッカーを楽しむためのいしずえになる。
そのテクニックを身につけようと、みんなはっちゃきになって練習するのではないのか。
そこからなにを加味できるのか。
それが肝腎なのである。
おとなたちに明確なヴィジョンは在るのか。
この世代は、まず、肉体を着実に鍛えることが肝要である。
それは、見ための筋力をつけるのではなく、からだの表面にあらわれない体幹となる筋肉の強化である。
釜本邦茂さんのようなスケート選手ばりの太腿をもつ青年ばかりじゃなく、ひょろひょろに見えても倒れない少年を目指すべきである。
そして、倒れても、ダメージのすくない倒れかたのできる少年をふやすことである。
こどもに似たタイプが多いのは、かれらの身近にいるおとなたちに似たタイプが多いからである。
どのおとなも、教えかた、話しかた、生きかた、教養の度合い等、似かよったタイプが多いからである。
こどもはそれをまじまじと映す、鏡体でしかない。
こどもたちが頼りないのはおとなたちが頼りないからにほかならない。
こどもたちがひよわなのは、なぁに、ほんとうは、おとなたちがひよわだからである。
こどもたちに個性がないという。
その目指すべき、形作られるべき個性、個性のあるべき姿とはいったいなんぞや。
そこから質疑応答をはじめているのだろうか。
そこをおざなりにしてはいまいか。
みせかけの筋力、みせかけの勝利ばかりに目がいってやしまいか。
実のところ、問題を内でくすぶらせているのはこどもではなく、つねに慨嘆する側の、おとなたちなのだ。
そこを忘れてはならぬ。(11.2.05)
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