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ボジョレ・ヌーボウ解禁におもう
ボジョレ・ヌーボウが解禁という。
ばかばかしい。
それをまって解禁時刻になるまで、だいのおとながワインとにらめっこ。
時間に囚われているというよりも時間に囚われたいのだろう。
こういうときに発揮される精神性の高さを、もっとほかのところで披露してみて はいかがなものか。
解禁日を破ったところで、輸入禁止になるのかもしれない。
が、ニッポンは大消費国である。
解禁などノンセンスという声がでないのはなぜだろうか。
できあがったものを早速に食す。
それこそがまっとうだろう。
できたてがおいしい。
できあがってから時間を経たほうがおいしい。
アルコールものはだいたい後者のほうだそうである。
そのなかでボジョレ・ヌーボウはできたてがおいしいもの、と相場がきまってい る。
ということは、そのほとんどのひとがおいしいものという先入観をもつにすぎな
い。
おいしさとは感覚である。
目で見ておいしいもの。
耳で聞いておいしいもの。
鼻でかいでおいしいもの。
みんながおいしい味というから、云々。
そのどれかに該当するものがおいしいのにきまっている。
結局ひとは舌ではなく、あたまでしか味わえない。
ボジョレ・ヌーボウがおいしいといわれるのは、おいしそうな演出による。
それはチョコレートの拡販とヴァレンタインズ・デイとを結びつけた巷の天才に
よるアイディア、いやいや策略にまんまとひっかかっているのである。
それを無反省に、楽しいことだからいいじゃないか、とする意見には異を唱えた い。
特定商材の無意味な価格高騰をのみまねくだけである。
ニッポンはこういうことが多すぎる。(11.16.05)
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