自己管理
風邪だとおもった。
けれど熱が引かない。
いつもの風邪とはちがうぞ、と感じ、病院へいく。
肺炎ですね。
レントゲンを一瞥、医者にいわれ、納得する。
いつもとちがうはずである。
自己管理されていない。
体調をくずしたアスリートにたいして、まずはそう評する。
アマならずプロ選手にたいしては、
意識からしてなっていない。
そんなふうにきびしい軽口をたたく。
そも自己管理とは。
およそ自己管理とは、毎日の過ごしかたについて、いったいどれだけ意識しながらふるまうか。
また能力としてふるまえるか。
そのときの意志のヴァリエーション、ひきだしをどれだけ持っているか。
そういうことではなかろうか。
無論、ひきだしがおおいにこしたことはない。
はなはだしき勘違いは、自己管理を単なる欲望の制限と捉える人間がここニッポンに大勢いるという事実である。
それは放置され、かえりみられない。
自己管理とは、欲求をおさえることじゃなく、いいたいことを我慢することでもない。
自己管理とは、その欲求がなぜでるのか。
その理由が分析できる。
そしてその欲求を満たした場合と満たさなかった場合との差。
その差異を、その影響を簡潔な言葉に言い換えられる。
熟慮されているか、熟慮されていないかの問題なのではあるまいか。
現状は自己管理という言葉がポツネンとしてあるだけで、その実体について公開されない。
ゆえに自己管理は個人とともに埋もれ、水中の大きな泡がボワン、ボワンと浮いては消える。
そのくりかえし。
まるで屁。
のどもとすぎて人はやはり熱さを忘れる。
だれだって風邪をひく。
ひきたくなくても風邪はひく。
そこに意志が働けば、風邪をひいても軽症ですますことができるかもしれない。
その方法を識れば、風邪さへひかずにすませるかもしれない。
畢竟医学の発展とは予防医学の進展にほかならないはずだ。(10.2.05)
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