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こどもがひよわなのは、おとながひよわいからである
その日はおとなとこども、それぞれの国際試合があった。
おとなはワールドカップ予選対インド戦。
こどもはU-17アジア予選対中国戦であった。
そこには「落ち着き」と「余裕」のもちかたについての歴然としたちがいがあった。
たとえば、こどもたちは中国に先制をゆるす。
すると、それまでの調和が嘘のように、わがままで、しかも単調なミスを繰り返した。
ボールをスペースへ蹴るときも、
「捕れよ」といったふてくされてでもいるかのような、いじわるで投げやりなパスを出していた。
一方インド戦。
先制点での本山雅志選手が三都主アレサンドロ選手へのヘッディングがまるで、「捕ってね」、もしくは「捕ってください」といった丁寧なメッセージがこめられているようで、それらの印象が対照的ですらあった。
U-17チームのこどもたちはきっと上手なのであろう。
練習でも、簡潔にゴールを重ねているに違いない。
先制すればかれらのもの。
がんがん攻めたてるのだろう。
しかしひとたび勝たなければならない試合で。
しかも同時刻に当該チームと得点差を競う条件下で、先制をゆるす。
かれらはいままでに経験のない状況にめぐりあったとたん、ひよわなこどもにもどってしまった。
どのような状況が想定されうるか。
予行できたはずである。
一言で言えば、これはおとなの仕事である。
そのおとなのサポートがなっていないから、こどもたちはいつも大事なときに、あわてふためくばかりなのである。(9.9.04)
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