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ドーピング、そして誤審
誤審、誤審、また誤審。
世界規模のスポーツ大会が催されるときまって話題になるのが、ドーピング、そして誤審である。
それはいわば陰と陽で、この世界にはかならずつきまとうものなのであろうか。
ただ、陰と陽とはいえ、人があみだした概念であるがゆえそれとても所詮、立場が違えばなんのことはない、見方も変る。
アテネオリンピック女子サッカー全日本の準々決勝でのU.S.A.の2点目はどうみてもオフサイドである。
選手の技術はあがっているのに、それを見分ける審判者の技術がともなっていない。
競技者のプロ化は著しいが審判者はいまもって学校の先生であったりする。
人だからミスはする。
たしかにそうである。
が、ミスをしないようにできるのもまた人である。
あきらかなミスはやはりあきらかにミスなのである。
そのミスをだれかがしたときにほかのだれかがフォローのできる審判制度を一考してもよいのではないだろうか。
その場そのときに、より正確な判断で即応すれば、遺恨をつくる素地はなくなるやもしれぬ。
採点種目なぞは厳密を期すために採点基準がよりこまかくなっていく。
それゆえの副作用として採点ミスも当然おこるべくしておこる。
方向はむしろ逆であるべき。
だれがみてもわかるような基準づくりを目指し、またみつけていくべきである。
減点法ではなく、チャレンジ精神の有無に重きをおいた加点法に工夫をこらせないだろうか。(8.31.04)
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