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明瞭(はっきり)と、簡潔に
的確な言葉を声にだせ、コーチング
「声を出せ。」という。
「コーチングせよ。」という。
だからままならない。
「どんな声をだ」し、
「いったいなにをコーチングする。」のか。
そのことについて考えない・考えさせないから、いえない・教えられない・わかってない、状況がつづく。
だから、
「もっと声をだせよ。」
というと、
「おれは声なら出している。」
小学校3・4年の子供と同じ反応をする。
たとえ大人になろうとも、或る事柄について疑問をもたなければ、小学校3・4年時に教わったとおり、教わったままの行動をとるのは、あたりまえといえばあたりまえなのかもしれない。
少年野球の掛け声がそのことを如実に語る。
「しまっていくぞ。」
なにをしまっていくのか。
「打たせてとるぞ。」
どこへうたせるべきなのか。
打たせても万全の守備なのか。
「気合だ、気合。」
???。
こういうのが一番いけない。
本人も、いわれるほうも、まったく意味不明な言葉だのに。
「声だしていこう。」
で、どうなるのか。
もうすでに出しているじゃないか。
事が起きなければ、声などは出さなくていい。
練習、試合が勝負の時間にはいる。
肉体的にも精神的にもきつい時間である。
ここで、声が出るか、声を出すのか、が問われる。
ここでこそ、声を出せ。
きびしい状況のなかでこそ、声を出せ。
しかも明瞭(はっきり)と、そして簡潔に、なによりも的確な言葉を声に出していわなければならない。
いえないのなら考えろ。
なんていえばいいのか、考えてみろ。
なんていわれたら、力が出せるのか。
考えてみろ。
それなしになにも考えないところから、生まれるものではない。(5.25.04)
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