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ボールをもっていないときの動きがなっていない、苦戦するJEF市原
苦戦するJEF市原。
ここへきてもなおオシムヘッドコーチの手腕にのみ期待するというならば、プロフットボール界から即、身を引くべきである。
責任はオシムヘッドコーチ以外の無策なコーチ、それと選手である。
理由は簡単である。
ボールをもっていないときの動きがなっていないからである。
たとえば阿部勇樹選手がボールをもつ。
そのとき佐藤勇人選手がトップスピードになるまえのセカンドスピードになっていないからである。
だからいつも5歩遅れる。
この5歩という数字を距離に換算すると、最低でも約4b。
その距離がいかなる意味をもつか。
この認識があれば、シュートでおわるか、さもなくば敵デフェンスにつめよられバックパスを余儀なくされるか、もしくは失策におわるか、どの可能性が高くなるかおわかりいただけよう。
ひとり羽生直剛選手は理解できている。
ただ、試合による出来不出来の差があるのは、フィジカルの弱さからくるものなのだろうか。
せっかくの理解も、羽生直剛選手の心のなかに留めたままで、それを練習のときから他の選手に対して要求していない。
だから結果チームに浸透しない、約束事にならない、オプションにならないのである。
ジュビロ磐田が強いのは、練習から要求が強いからである。
要求もしないで、どこへパスをだせというのだ。
ジュビロ磐田の前田遼一選手の動きを見ていればわかる。
かれは名波浩選手の足元にボールが入るとわかった段階で相手ディフェンダーの位置を確認し、スペースを探しおえている。
このときのシンキングスピードはトップにある。
そしてトップスピードのまえのセカンドスピードでスペースへ走りこんでいる。
それを当然のごとくくりかえす。
このすでに見極めている・走りこんでいるスピードのイメージ。
この動き、この考えがJEF市原のコーチ・選手には絶対的に欠けている。
櫛野亮選手を含めたバックス陣のコーチング量とともに(質を問う段階にない)。
ジュビロ磐田が強いのは、その前田遼一選手の動きにきっちりと応えられるパッサーがいるからでもある。(5.13.04)
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