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もう後手にまわってはいけない、女子レスリング山本聖子選手
女子レスリングのレベルが飛びぬけて高いのは、プロレスリングの隆盛と無関係ではあるまい。
アニマル浜口さん親子を見るまでもなく、娘さんがレスラーになるには父親の影響が大。
その父親がレスリングなどの格闘技に影響されているであろうことは想像に難くない。
アテネオリンピック女子レスリング55s級代表は吉田沙保里選手である。
吉田沙保里選手の好敵手、山本聖子選手の父上もレスリングのオリンピック選手であった。
はじめから吉田沙保里選手に分があったのではない。
吉田沙保里選手の意志が、かのじょ自身を鍛え、そして山本聖子選手を凌駕するにいたったのである。
両選手の実力が拮抗するまで、王者山本聖子選手は才能にまかせて練習していた。
「それまでなにも考えていなかった。」
そのころの練習について山本聖子選手自身が語っていた。
と、すれば、その時点で王者山本聖子選手は後手にまわり、挑戦者にすきを与えたことになる。
好敵手を分析する。
吉田沙保里選手の武器は強烈なタックルである。
ライバルの姿があらわになる。
その日以降、王者の脳裏に浮かぶことといえば吉田沙保里選手のタックルばかり。
・・・しばしの間、この状況を放置したがため、王者はおのれの牙を磨く手をとめてしまった。
いつのまにか、「攻める心」が置き去られていたのである。
吉田沙保里選手への対抗策。
それは吉田沙保里選手のタックルのまえに仕掛けることでしかない。
だが、山本聖子選手の脳髄では吉田沙保里選手のタックルにたいしての防御法に苦心するばかりであった。
このとき、山本聖子選手はふたたび後手にまわっていたのである。
たしかに防ぎようはある。
けれど、攻撃というものは、「攻撃する」、この行為だけで防御側に対してのアドヴァンテージをもつ。
その気持ちを山本聖子選手は忘れてしまっていた。
つまりは挑戦者にすきを与え続けていたのである。
レスリングを続けるか、やめちまうのか。いずれの道しかない。
山本聖子選手は23歳。
もう23歳なのだろうか。
それともまだ23歳なのだろうか。
レスリングと年齢についての関係はわたしにはわからない。
たぶん、かのじょにも、だれにもわかるまい。
何十年か経ってのち、だれかが振り返るだけである。
ただ、もう後手にまわってはならない。(4.12.04)
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