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こうして日本は苦戦する
ワールドカップ予選、対シンガポール戦。
加地亮選手のアタックはレアル・マドリのミチェル・サルガドを彷彿とさせた。
中盤がボールをもったら、右サイドのスペースに走りこむ。
すりこまれているかのように、何回も何回も果敢に挑む。
ミチェル・サルガドは、この動きをおこたらない。
が、チームは苦戦した。
それは苦戦を打開する方法を考える選手、苦戦の芽をつぶす方法を考える選手が絶対的にすくないからである。
その役目を担おうとする選手が絶対的にすくないからである。
選手からアイディアがでないということは、ほとんどの選手がなにも考えていない証左でしかない。
もし考えていれば、おのずと意見はでてくるものである。
苦戦を打開するのは、チームであり、おのおのの選手でしかない。
ヘッドコーチといえども蚊帳のそとである。
打開するためには、反省、経験をいかした議論、修正、練習での実践、よりほかにない。
試合中に議論はできない。
ならば試合まえのミーティングや練習でしか準備できない性質のものである。
それをしていないからではないか。
練習がなってないばかりか、ミーティングすらなってないのである。
苦戦する状況は外から与えられるものでは決してない。
苦戦は苦戦したチームにしか生まれない。
昨夜の日本代表は、おのずから苦戦を選択したのである。
こうして日本は苦戦をしいられる。
インド戦もまた苦戦するであろう。
そしてその次も苦戦する。
次の次も苦戦するし。
ずうっと苦戦しつづけるにちがいない。
このままならば。(4.1.04)
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