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演技する精神
わが国のプロスポーツに絶対的に欠けているもの、それは演技する精神である。
劇場はあるが役者がいない。
プロフェッショナルとアマチュア、その一線を画するものが演技する精神であり、プロフェッショナルを自認するのならば、この演技する精神の有無こそを問うべきである。
そこが曖昧なままに見過ごされつづける。
それがわが国のプロスポーツの現状である。
なぜ格闘技が注目され、興行として成功するのか。
それは興行としてわりきっているからである。
プロデューサーに有能がいるのはもちろんである。
が、それよりも重要なことは、格闘技にはヒールがいて、どのレスラーもがヒールになりうるのである。
役割を分担し、試合を制御する。
簡潔に。
殺し合いではないのにもかかわらず、その鬼気迫る演技において観客を興奮させる。
これこそ上質の演劇そのものである。
プロフェッショナリズムの本流は、一連のプロスポーツから疎外された、プロレスリングにのみ存在するという皮肉。
戦後、力道山が人気になったのを時代の一言で済ましてはいけない。
力道山の興行が日本におけるプロスポーツの、まさにプロトタイプであり、日本プロレスが日本のプロスポーツを勃興させたことはまちがいない。
それゆえにジャイアント馬場を、アントニオ猪木を輩出し、そしていま、K-1を演出する。(3.31.04)
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