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ジーコをヘッドコーチに推す
とどめをさす。
苦手なようである。
後半、U.A.E.に退場者がでた。
にもかかわらず、その後、日本は得点をあげられなかった。
次回、U.A.E.とたたかうときのために、とどめをさす。
少なくともその方向を示すべきであった。
当然、平山相太選手に疲れをみて高松大樹選手、松井大輔選手の起用は間違いなかろうとおもっていた。
が、山本昌邦ヘッドコーチは動かなかった。
動くべきときに動かず、動くべきではないときに、かれは動いた。
苦戦の種は、かれ山本昌邦ヘッドコーチ自身が蒔いていたのである。
刈取りは誰が行うべきか。
ジーコではなかろうか。
山本昌邦氏ではアテネ大会の決勝トーナメント出場は無理である。
オーソドックスな戦術。
つまり血迷わない人がチームの将でなければならない。
フィリップ・トルシエはかれの在任中、最後の試合でかれの経験の限界を露呈した。
最後の指揮で血迷ったのである。
たとえフィリップに批判的とはいえ、かれ山本昌邦氏はフィリップの暴挙を阻止できなかった。
いずれにせよ、その流れを絶つためにも、ここはジーコをヘッドコーチに推す。
アジア予選を通過したご褒美と、山本昌邦ヘッドコーチに続けてやってもらう。
この発想では、世界には通用しない。
肝に銘ずるべきである。(3.18.04)
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