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代表構想のすすめ
新しいヘッドコーチになって、新しい戦力は見出されたか。
各自、代表チームを構想してみるべきである。
100人いたら100のチームができる、という。
それは嘘である。
戦力の分析など一般にはできない。
TV、新聞の情報による。
が、情報発信を担う記者諸君の意識は低い。
与えられた選手表をみて、なにも疑わない。
ポジションが変っていることすら気づかない。
担当記者で、こうなのである。
それでは現場にいても、実際の試合を見ていないに等しい。
もったいない行為だと、なぜ気がつかないのだろうか。
それはまるで旅行者がカメラのファインダーばかり気にして、実際の目でまわりの景色を見ようとしないようなものである。
肌で感じ、耳で聴こうとしなければ、たとえ現地へ足を運んでも実感を伴うわけがない。
その記事がはたして人の心を動かすだろうか。
感じようとおもわなければ感じられない。
一瞬を逃すまいとおもう心にしか一瞬は捉えられない。
人間の脳は同時に2つ以上のことを考えることはできない。
なにも考えていないからだ。
社会部か政治部を希望したのに、スポーツ部とは。
なかにはこのような記者もいよう。
だが、
記者席という最良のポジションにいながら、携帯電話片手にPCのキーボードをたたく。
顔は目のまえのディスプレーとにらめっこ。
肝心の試合を観ていない。
観ていないのだから書けるわけがない。
この姿勢が続くかぎり、新聞の記事が単なる報告に終始する悪しき現状は、たとえ社会部であろうが政治部であろうが、変るまい。
なにも観ていないからだ。
担当記者は担当するチームのなかにあたらしい可能性を見つけることである。
かれの得意なプレーをしっかりと把握し、読者に伝える。
そうすることで、そのチーム以外のファンもアウェイの試合で確かめられる。
大したことがなければ、記者の目が疑われるだけである。
切磋琢磨してこそ目も鍛えられる。
それがやがて全国的になる。
その選手が代表チームの一員になる。
そのときこそ、おれが見つけたのだ、と心のなかで己を褒めてあげれば良い。
観ることが仕事なのである。(2.23.04)
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