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奇跡などない
奇跡の生還。
奇跡の大逆転。
奇跡の勝利。
奇跡の大安売りはいまさらのことではない。
はたして奇跡はあるのだろうか。
それともないのだろうか。
奇跡とはいったいなにものなのだろうか。
その判断をないがしろにしたまま、奇跡はあるだろう、奇跡はあるんじゃぁなかろうか、奇跡はあってもいいんじゃないだろうか。
けっしてこの範囲をこえることはない。
奇跡という言葉はつかわない。
奇跡をつかうと、そこで思考が止まるからである。
奇跡だ、といってしまえば、すべてのできごとを、人知の彼方へ追いやってしまうからである。
いや、むしろ、そこから始まるべき顛末の整理をうっちゃってしまいたいがため、奇跡という言葉をわざとつかうのか。
それが奇跡を軽々しく口にしてしまったり、文字にしてしまったりする、ほんとうの理由なのではないのだろうか。
奇跡すらも、さっさと水に流してしまうのである。
人がそうするんだもの、自分だってそうしなくっちゃ。
はたして奇跡は毎日起こる。
やがて、
「こんにちは。」
という挨拶が、
「奇跡ですね。」
「ほんとうにきょうは奇跡ですね。」
という、わけのわからないやりとりになるかもしれない。
奇跡などない。
そう覚悟するほうがすっきりしている。(11.8.04)
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