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怒らない監督、落合博満
中日ドラゴンズがセントラルリーグを制覇した。
たとえ選手が失策をしても、落合博満監督は怒らなかったという。
そんなことができるのだろうか?
できる。
いや、できたのである。
すくなくとも落合博満監督は怒らなかった。
怒りはいわば反射で、制御などできるものではない、と。
著者はおもっていた。
いつも冷静を心がけているのである。
それでも怒るときは、怒らなければいけない、とすらおもっていた。
だが、落合博満さんは怒らなかった。
そこにはなにか大切なことが隠されているふうにおもえてならない。
怒らないことを評価しているのではない。
なぜ怒らなかったか、そのわけを聞きたい。
「わけなんて、ねぇよ。」
落合博満監督はそういうにきまっている。
「自分のここにきいてみな。」
落合博満監督はおつむを指さしていうのだろう。
結局、「怒る」とはたんなる恣意であり、そこにあるのは加害者の無責任でしかないのではあるまいか。
それをさんざんに経験してきた落合博満さんだからこそ、そういう害を蒙ってきたからこそ判りうることなのではあるまいか。
怒るのならば、そのぶん褒めてあげればいいじゃないか。
いってあげなくちゃいけないことはいうよ。
けれど判断するのは本人。
それだって、相手はおとな。
おとなにはおとなのいいかたがあるだろう。
いっつも大きい声だしていりゃいいってもんでもないだろう。
小声でいうべきことは小さな声でいうもんだ。
著者はおもう。
われわれは、あまりにも親が怒るのを見すぎてきたのである。
われわれは、あまりにも指導者が怒るのを見すぎてきたのである。
われわれは、センパイが文句ばかりいうのを見すぎてきたのである。
われわれは、年長者がただ年長というそれだけの理由で、威張りちらすのを見すぎてきたのである。(10.10.04)
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