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平山相太選手について、騒ぎすぎ
中田英寿選手の若いときにそっくり。
そんな平山相太選手について、騒ぎすぎである。
かれがこのさき通用するかどうか、もちろん未知である。
だのにオリンピックチームではまるでエースである。
どうしてスター扱いするのか。
勘違いするなといっても、よほどしっかりした大人がサポートしてあげなくては勘違いしたとしてもしかたがない。
そうして何人の有望をつぶしてきたことか。
そこに加害者としての反省は生まれないのか。
記者諸君には意地はないのか。
経験とはなんぞや。
ユースでは通用した。
といっても、フル稼働ではない。
大熊清ヘッドコーチが平山相太選手をスーパーサブとして起用したこととて、あらかじめ練習し計算された戦術とはどうみてもおもえない。
平山相太くんの活躍はチームメイトにすら驚きをもって見られただろうし、敵チームとて平山相太くんのデータもなく、びっくりしたにちがいない。
だから奏功したにすぎない。
たまたまなのである。
オーストラリアとの練習試合ですら、平山相太くんをテストしなかった。
進学への準備で出場できなかったかもしれないが。
いずれにせよ、
代表チームをはじめ、Jリーグのほとんどのチームが高さを活かした戦術をとろうとしないのはなぜか。
フランス大会予選。
日本対韓国。
加茂周ヘッドコーチは秋田豊選手を入れ、パワープレーに挑んだ。
練習で試したことのないオプションであったのではあるまいか。
それを試合でつかった。
なにが起こるかわからない。
それはそうである。
しかし、試したこともない方法で対抗しようとしたとき、加茂周ヘッドコーチは明らかに冷静さを欠いていた。
そのときの選択の正否すらうやむやなまま、いまに至る。
だから、たまたま得たアイディアをヒントに、次はまえよりももっと確かなものをつくりあげようとはならない。
成否は語られず、当事者はだんまりをきめこみ、棺桶にまでもっていってしまう。
加茂周ヘッドコーチのアイディアは素晴しかった。
ただ、練習で、なぜそのアイディアを試せなかったのか。
残念でならない。
戦術に奇抜はいらない。
ヴァリエーションもいらない。
試合時間残り5分の攻防をみよ。
そこには奇抜も攻撃の多様も、きれいごとはなにひとつとしてない。
ただ、1点をとるための、もしくは1点を守るための、せめぎあいしかない。
ひとつの方法を繰り返し、得意な形へ、いかに速やかにもっていけるのか。
その熟成。
高さを活かす攻撃こそ最たるものである。
平山相太選手とおなじ学校の先輩に船越優蔵選手がいる。
所属チームはアルビレックス新潟。
ヘディングだけで勝負してほしいアスリートである。(1.31.04)
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