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大相撲がつまらない
曙が相撲をやめた。
小錦といい、それはけっして偶然ではない。
相撲が発展するには、いまよりもっと国際的に開放せざるをえない。
にもかかわらず。
母国語に英語をもつ小錦や曙に逃げられた協会側に、その不自由さに気づく人は果たしているのだろうか。
いるにせよ少数の傍流でしかないのだろう。
口にするのもはばかられる。
辞めたいのなら勝手に辞めろ。
そんなところだろう。
かわいがる、という欺名のもとに堂々と行われているいじめ。
その陰湿さは他の国にはみられない日本独特のものである。
年寄株。
なぜあのような不確実が高価で売買されるのだろう。
それすらも疑わない。
それがいままで行われてきたという事実のみにあぐらをかいているにすぎない。
そこにあるものは既得権の死守でしかなく、老弊である。
20歳代で引退。
なんたる老け込み具合であるか。
そんな年寄じみた溌剌のない社会が魅力をもつとは到底考えられない。
すたれることはもはや自明の理となった。
30、40歳で現役。
そういう力士をつくらなくてはならないのに。
場所数、地方巡業が多すぎて力士への過大な負担になっているのである。
関取ではない。
力士がへとへとなのである。
高見盛関が人気である。
これすらも年配、子供に人気があるにすぎない。
かれらと同輩の諸君は、妙な気合のいれかたをする相撲取り程度にしかかれをみていない。
北の湖さんは賢明なかたである。
危機感もひしひしと感じていらっしゃるであろう。
協会に拘束しなくても、曙、小錦の協力はえられよう。
柔軟に、斬新に、変っていかなくて、未来の大相撲はない。
それにしても大相撲経験者のみで構成される協会というのも妙である。
ふんどし組ばかりで、背広組がいない。
興行であるいじょうこの方式で差し支えなかったのだろう。
いままでは。
だが、このままだと相撲協会は協会自体で変ることは永遠にできない。
別の大相撲団体がつくられるまでは。
閉ざされた社会とはそういう問題を胚胎しているのである。
いつも。
つねに。(1.21.04)
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