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性悪と書いて、セイアクと読むが、ショウワルのほうが的確だ
すきま産業と自嘲するのはなぜだろう。
すきまだらけのはずなのに、もう立錐の余地もないばかりの悲観である。
ばかぁいってもらっちゃぁこまる。
たとえば、アイディアの粋としてノーベル賞をとってみても、物理、化学、医学生理学の面で受賞したひとですら480人ほど。
たった480人!
それですら生命にかんする分野のいったい何パーセント解明できたというのだろうか。
全知全能の円を3次元図のXYZ面に作ってみよう。
Xは横軸、Yは縦軸、Zは奥行。
そこに既存の知識、アイディアの点をつける。
既存の知識、アイディアすべてを配置したとして、点と点のあいだはすきまだらけになる。
たとえば自動車。
基幹産業である。
とはいえ、物、人の移動ならばフォードの時代で完結している。
また、空中の移動である飛行機とて、ライト兄弟が創り出した時点で完結している。
産業の隆盛はY軸に表せ、上へのびているにすぎない。
ほとんどの産業は技術の応用、改良で食っているのであり、いわば余技で稼いでいる。
サービス業とてそのかすみに違いはなく、旅客機にのるキャビンアテンダントは肉体労働そのものである。
職業に貴賤はない。
が、考え方に貴賤がでてくるのは、なぜだろう。
ないものを、さもあるようにおもい、あるのに、ないかのごとく。
性悪とかいてセイアクと読むが、むしろショウワルのほうが的確である。
これですべて出尽くしたとおもうところに、多くの人の想像力の限界をみる。
そんな、ばかな。
なんと人は傲慢か。(9.5.03)
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