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ゴミを減らすには
ゴミをゴミとおもってるいじょう、ゴミは減らない。
ゴミを減らすには、ゴミという言葉ではなく、ゴミになるまえの、もとの名前で呼ぶようになるまでは、いっこうに減るまい。
つまり、われわれのゴミの認識をかえるよりほかに手立てはない。
たとえば、動物の糞のにおいに、顔をそむけ、くさい、といいきってしまう母親がいる。
かのじょに乳の滋味は語れないのではないか。
それなのに、そのものが大声で子供たちに乳の栄養について語る。
それはすでに嘘である。
ゴミ捨て場を見て、顔をしかめるわれわれとて、程度はおなじだ。
あの糞のにおいがあるから乳は美味い。
あの糞のにおいがあるから、乳は甘い。
想像する力が切れてしまっているからなのだろう。
子供たちとて半信半疑になる。
ちょっとまえまで、しかも毎日、飲んでいたのだもの。
おとなである母親はそれを忘れている。
あのゴミのにおいをつくるのだって、ほかでもないゴミをだしたあなたであり、わたしなのだということを忘れている。
ゴミをゴミという人ほど、人をして、あいつはくずだ、とやってしまう。
たしかにこの世は、くずの集まりかもしれないが。
牛舎がある。
牛の糞のにおいはどこへ行っても、いつもおなじ。
くさいのはむしろ歩く窒素化合物の人であり、人がだすもの、つくるものである。
汚いものとはなにで、くさいものとはなにか。
きれいなものは。
美しいものとは。
すべては人の足跡におちるフケのようなものでしかない。
牛の糞はくさくないことを識るべきである。
ゴミを減らすことは、おのれについて考えることである。
きみたちはゴミで、はたしてわたしもゴミになるか。
そうならないためには、ただ精進あるのみ。(9.10.03)
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