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スポーツは、まじめに遊ぶ、でどうだろう
プロ野球はなんといっても投手。
つぎに投手。
つぎにも投手。
で、つぎは守備。
特に鉄壁の2遊間。
丈夫で怪我に強く、全試合出場選手が5人。
このコンセプトで優勝を目指す。
的はずれではないとおもうがどうだろう。
メジャーリーグに選手が流れることによってTV中継はふえた。
まったく、休みがないのではないか、と感じるくらい試合はある。
それにくらべて、わが邦のプロ野球選手の肉体が脆弱におもえるのはたまたまではあるまい。
U.S.A.ではニューヨークで試合。
その後当日移動。
どこへ行くかというとシアトルであったりする。
夏の子供の野球大会期間中、大阪をあとにするだけで、死のロード。
野茂英雄選手などは中4日だぞ。
はずかしいとおもうかどうかはべつにしても、これは筋力のなさ、メンタルの弱さが原因だといわれてもしょうがあるまい。
ひとことでいうならば、それはスポーツが科学されていないからである。
データとしてはあっても、それが一般に膾炙するほどの蓄積とボリュームをもっていないからである。
そういった口伝者、まとめ役がいないからである。
プロフェッショナルもアマチュアも競技ごとにばらばらで、まとまりがない。
まとまる必要を感じない個人でできた組織だもの、その当然の帰結として、どの競技も特化はするが、普遍は生まない。
独特な風土という総論におちつくことになる。
が、柔道、剣道が依然として強いのはなぜか。
バレーボールが強かったのはなぜか。
ソビエト、東欧以外では盛んでなかったからだ、という見方もあるが、それはさておき、なぜ強かったか。
いっときの水泳王国が凋落し、そしていま、ふたたび、その気配をビッシビシ感じる、この可能性はどこから発信しているのか。
まだまだ解かれていない設問はわんさかとある。
その解明こそがスポーツ科学である。
スポーツという言葉すらカタカナのままである。
まじめに遊ぶ、まじめ遊び、これがスポーツだとおもうがどうだろう。(8.21.03)
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