岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  顔をあげろ、ゾノ、前園真聖

 なぜ前園真聖選手はその株をおとしたのか。

 アトランタオリンピックのメンバーの評判を久しくきかない。
 なぜだろう。

 変わることの難しさ。
 いや…。

 人は、もしかして、変われないのではないだろうか。
 それなのに、変わろうとする。

 どこを変えたいのだ。
 どこを変えればいいのだ。

 はっきりとした対象を、変えるべき箇所を持っているのか。
 変えれば、あのころに戻れるのか。

 だが、問題はそこじゃないのではないか。
 だからいくら動いても、はっきりとした復活、再生がなされない。
 肉体に遜色はないはずだ。
 このままのはずはない。
 かれらはまだ終わってなぞ、いない。

 視座。
 ものを見る視点。
 アスリートでいうならば、視野である。
 その視線が低いのではないだろうか。

 調子のいいときと、悪いとき。
 そのちがいは、軸のぶれからくるもの、それと視点、つまり見る目線がいぜんより低く、それは顔の傾斜が下になっているところからくる、視野狭窄にあるのではないだろうか。
 いぜんは視界にあった。
 しかし、いまは見えていないのではないか。
 なにが問題か、が見えていないと同時に、心は実際に人の動きをも見にくくしているのではないだろうか。

 メンタルのでかた、気持ちの持ちかたによって、人はまずどこから変わるのか。
 顔の、目のやりようではないだろうか。
 それらはすべて、人の視線にあらわれはしまいか。

 自信をなくす、ということは、顔がうつむくことであり、視線はさがる。
 自信を持つということは、つまり、視線を高く、顔を堂々とあげることではないのか。

 前園よ、笑ってくれるな。
 おれは真剣にそうおもう。
 ゾノ、顔をあげろ。(8.19.03)




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