|
|
負けるな、柱谷幸一
監督が不倫。
だからどうしたというのか。
騒ぎすぎである。
マスコミは相手の女性のその容姿をもって云々。
こういう茶化しは、東京スポーツなどゴシップ記事を載せる新聞以外、言語道断ではないのか。
チームは子供への影響を配慮というが、どう配慮しているのか。
子供で組織された委員会でもあって、そこの委員から、これはけしからん、との通達でもでたというのか。
監督を休養、という判断ははやかった。
しかし、その妥当性、対応には課題が残る。
山形は安全か。
モンテディオは安全か。
選手は安全か。
報道の優先順でいくとこうなる。
モンテディオは安全か。
今回はそこに位置する。
それと重要なのは、モンテディオはアマチュアではなく、プロである。
にもかかわらず、担当の部長が経験のなさを露呈した。
育成の問題はここで語られるべきではない。
子供への影響も語られるべき問題ではない。
問題になったのは、それを問題にしたモンテディオサイドだということである。
社会的責任というが、不倫はあくまで個人の問題であり、かれが責めを負うとすれば、それはかれの家族にたいしてのみであり、社会的制裁は写真誌掲載によってすでにうけている。
とんだ火遊び、といことである。
だが、火事にはなっていないというのも事実である。
解任ではなく、3試合出場停止でよい。
また、その妥当性について議論されつづけなければならないだけじゃないか。
サミー・ソーサのコルクバット使用にたいする対処法は参考になるはずで、あれも一種の火遊びになる。
ソーサは処分にたいし不服を申し立てられるし、処分が決定するまでは、出場する。
その間、ヤジに耐えるのも社会的制裁になる。
あたりまえのことである。
プロスポーツ先進国に見習うべきことは見習う。
対岸の火事としか認識していないから、いざというときにアマチュアの対処法になってしまう。
チームとして経験がないのか、表にでてこないまま、うやむやにしてきたか、つまらぬ穿鑿(せんさく)はよすが、公開の原則はまもらなければならない。
とはいえ、今回のような個の問題は、やはり個の問題として扱うべきである。(7.5.03)
|
|
|