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われわれは、なぜこうも急ぐのか、いったいなにを焦るのか
便利というのは人間が作った概念である。
それが素晴しいことなのか、そうではないのか。
素晴しくもあり、そうではない場合もあるのか。
整理してみるべきである。
いずれにしても、便利さの対極は不便さになるのであろうか。
この便利さとはやっかいな代物で、便利であればあるほど不便さも同じように比例していくことを、その便利さの利用者ならびに、多くの便利さを享受する者たちの意識から、欠如させる特質をもっている。
一方、不便さは不便さのまま残る。
それはむかしとかわらない。
だから不便だとはいいつつも不便をくりかえす。
しだいに不便さは忘れられ、あたかもそれが当然になる。
やがて新たな価値を持つ。
不便でいいのである。
しかし、便利さは加速する。
そして乗じていく。
このときの便利さは不便さに等しい。
便利さは同時に不便さを産み、同時に不便さを加速させ、同じように乗じていく。
便利さとは、不便さと表裏一体をなす。
いわば陰影なのである。
われわれはいったいなにをこうも急ぐのか。
なにをこうも焦るのか。
われわれはいったいなにに怯え、なにから脅迫され、いったいなにを人質にとられているのだろうか。(7.3.03)
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