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アジアをあげる、ニッポンがあがる
柳沢敦選手がイタリアへいった。
そのかれをアタッカンテとしてつかうのではなく、セントロカンピステでつかいたい旨のことを聞いた。
炯眼である。
ワールドカップ前のイタリア戦で放ったボレーシュートの素晴しさが、かれをイタリアへ誘った。
印象を与えるプレーとはそういうもので、それがすべてではない、というが、それがすべてなのである。
中村俊輔選手がさきのフランス戦で放ったゴールもフランス人の度肝をぬいたにちがいない。
中村俊輔選手の存在は新鮮で、それゆえにみな驚く。
なぜか。
イタリアで活躍したことを多くのフランス人はしらない。
インパクトを与えるプレーとはそういうものなのである。
中田英寿選手はフランス大会のクロアチア戦での中山雅史選手へのクロス。
西澤明訓選手はフランス戦でのボレーシュート。
城彰二選手はイラン戦での同点ヘッド。
これが名刺代わりなのである。
いくら言葉で説明しても、実績をならべても、とるにたらない。
日本人が日本人が、と騒ぐほど、ヨーロッパの人たちは日本選手をしらないし、注目していない。
日本の市場に注目、という記事をみるとすぐにのぼせあがるのは、ふだんいわれることがなく、だからよけいにそのときだけ目立つ、ということを記者も読者もわかっていないから。
見られたがりのくせに、そのくせ見られたがり下手であることすら、わかっているのか。
中田英寿選手はいわば突然変異であり、中村俊輔選手もそのたぐいである程度にしかおもっていない。
悔しいことに、事実その域を脱していない。
野球もそうだが、Jリーグはアジアに目をもっともっと向け、アジア地域には外国選手枠を適用しないくらいの勇気をもち、どのプロスポーツよりもさきがけるべきである。
日本が注目されないのは、アジアが注目されていないからにすぎず、それはレベルが高い低いという抽象だけではなく、機構としての意見交換、たがいに高きを目指す共通の目標、価値観、交流がほとんど行われていないことにある。
アフリカ選手権のようにアジア選手権にもヨーロッパからスカウトがわんさかやってくる魅力的な大会にならなくてはいけない。
くくりかたに無茶を承知でいう。
アフリカンにできて、アジアンにできないことはある。
しかし、アジアンにできてアフリカンにできないことも同様にある。
それはなにか、検証してみるのも有効である。(7.20.03)
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