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プラス思考
プラス思考。
最近、やたらと耳にし、目につく言葉である。
勘違いしてはいけない。
それは習慣としての考え方で、いわば癖のようなものであるということ。
ただ呪文のように唱えていれば身につくという代物ではない。
もし、わが国にその習慣を持つ人が一定量いたとすれば、状況はあきらかに変わろう。
が、この国では、プラス思考を備えた人は、子供の時分にその可能性を摘まれ、はじかれてきたのが実情である。
それなのに、いまさら、プラス思考とは。
なにをいっているのか。
なにも事がなければ、プラス思考なぞ云々することはない。
土俵のとく俵に足がかかってはじめて必要になる。
世相は暗いという。
が、世相は明るいとはいわない。
もう、あたりまえのことをいう愚はよそうじゃないか。
いまはただ、じっと我慢するよりほかないじゃないか。
いつまで我慢すればよいか。
そんなことはわからない。
世相が変わらなければ、自分が変わればいい。
殴られたのが事実でも、殴らせてやったのだ。
ふたたびいう。
プラス思考は、いうは易い。
簡単にできると思ったら大間違いである。
マイナスになろうとするところで、いや、マイナスになって、はじめて必要になる考え方である。
プラス思考が語られるのは、それを目指していることの裏返しである。
だからまだまだなっちゃぁいない。
プラス思考が喧伝されなくなるころに次の新たな世相も浮かんでこよう。(6.24.03)
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