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監督とてミスはする
監督とてミスはする。
人だもの、あたりまえじゃないか。
それを問わない。
実績のある高名な監督であればあるほどその色は濃い。
問わない、というよりもむしろ、記者諸君は問えないのだろう。
なぜか。
そこに疑問がないからである。
疑問がなければ質問はつくれない。
この根本をわかっていない。
質問は簡単だ、という風潮がある。
何でも訊けばいい。
ただ訊くだけだもの、だれにだってできる、という。
しかし、その意識には、程度の問題だという認識がない。
テレビのワイドショウを見慣れたせいなのか、日常のなかに胚胎せる悪い無意識、無認識である。
こう質問したら、こう答えてくるだろう。
ならば、こう質問しよう。
そうでなければ、こう質問してみよう。
質問の方向を変えてみるのもいいだろう。
ああしよう、こうしよう、と筋道をたててみる。
質問とは整理することにほかならない。
簡単にはできない。
時間がかかるものなのである。
物事は良質の質問を用意し、その答えが準備できて、はじめて要領を得るものである。
良い質問こそ生活を変化せしめてゆく起爆剤である。
質問を創る、そのためには、個々の感覚を磨くよりほかに術はない、とこころがけなければならない。
手始めに。
なぜ、どうして、という子供の問いにいっしょになって真剣に答えを考えてみてはどうだろう。
知ったかぶりはせず、わからなければ、なぜだと思う?と子供たちに聞いてみる。
「訊くための態度、心持、姿勢」をつくるように意識しながら。
その延長線上に、良質な質問も見出せるのではあるまいか。(6.2.03)
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