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世は、パッサーばかりなり
まるで、パッサーばかり。
だれもシュートをうたない。
うとうとしない。
なぜだろう。
たとえば、ボールを「責任」としてみよう。
ボールをもったものが責任をとる。
あたりまえのことである。
だが、その途端、露わになってくるのが選手たちの無責任である。
ボールを蹴るたびに、まるで、責任をなすりつけあっているように見えてくる。
ルックアップもせず、ただボールをさばくだけの選手たち。
ボールまわしに「意志」すらも感じられなくなる。
なにを、どうしたいのだ。
なにがシステム、なにが戦術か。
パッサーがもてはやされる社会。
それはそれでいいかもしれない。
が、もてはやしすぎが目にあまる。
そも中盤の支配とは、得点をとるための、その前段階でしかない。
いわば、遊びの段階じゃないか。
だのに、それだけで評価する社会。
不勉強なマスコミの記者たち。
引分けならまだしも、勝ってなんぼのプロの世界で、結果よりも、むしろ過程を評価するこの国の生理は、間違っているといわざるをえない。
中盤について、さわぎすぎであり、しかも、なにかと過大評価しすぎである。
猛省を促したい。(5.6.03)
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