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大相撲はいつから国技になったの?
横綱貴乃花が引退し、これからを心配する人が多い。
そうであろう。
貴乃花のもつ魅力はたとえようのないもので、まさしく唯一で無二の存在であった。
だが、そのかれを引退という、俵のそとへ押し出してしまったのは、その、これからを心配する人たちなのではないのか。
むかし、山口百恵さんが引退するにおよんで、そのごの芸能界はいったいどうなってしまうのだろう、といわれた。
そんな心配をよそに、松田聖子さんが登場し、芸能界の活況はとどまらない。
スターは不在というが、そんなことはない。
スターはつくられるものである。
貴乃花には華がある。
それはそうだろう。
華がある、と再三にわたり言いふるまったのは、ほかでもないきみたちだ。
貴乃花は物語をもっている。
そりゃあそうだろう。
かれをおもしろ可笑しく書いたのはきみたちじゃないか。
首相が総理大臣杯を渡すときに、「感動した。」といった。
著者も感動はした。
が、これでいいのか、と感じた。
無理をして、そのために怪我の回復がおくれるのではないか。
致命傷にならなければいいが。
だれか貴乃花を休ませられる人はいなかったのか。
横綱が出る、といったら出られるシステムなのか。
それならば大相撲の医療班は横綱の下に位置するのか。
包帯を巻いた力士が公式戦に出場する。
全国中継である。
海外でも放送されている。
なのに、あの包帯をみぐるしいという人はいないのか。
いったいあれは怪我をしているというアピールなのか。
負けたときの言い訳をつくっているのか。
そうではないのであれば、完全に回復してから出てこい。
怪我をしているところを狙われたとして、狙ったものは卑怯といわれよう。
それは嘘だ。
プロフェッショナルにそんなルールはない。
相撲のルールブックに怪我の箇所をせめてはいけないとでも書いてあるのか。
卑怯は、むしろ、卑怯の芽を生ませる行為をいう。
貴乃花の引退は、その芽を認識できず、摘みとれない、この国の状況が生んだ悲劇でしかない。
相撲は、だれが決めたかしらないが、まがりなりにも国技とよばれる。
国技とはその国の宝である。
異論はない。(2.16.03)
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