岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  四番バッターと盗塁

 いつから日本の四番バッターは盗塁をしなくなったのだろう。

 サミ・ソーサのヘッドスライディングはかなづちが跳んでくるような、するどさを持っているのに。
 番長はそもそも走るのがにがてだからなのだろうか。
 走れるのに走らないのがこの国の美意識なのだろうか。

 松井秀喜選手がアメリカに渡って、まず表情が青年のものになった。
 笑顔がさわやかになった。
 スイングの速さがどうなったかはわからないが、すくなくともかれの心のなかのなにかが変わった。
 変われることは若さ、ただ若さである。
 若いから、変われるというのではない。

 かれのインタビューがまず嫌いであった。
 20代だというのに、おやじくさくって、溌剌としたところがない。
 それでいて、同僚にいたずらをする姿はちゃめっけたっぷりである。

 この国はたちまちにして、青年をおやじに、少女をおばさんにしたててしまう。
 だれもが若さをどこかに置きさる。
 それをよしとする風潮は、若さにたいする敬愛がないからだ。
 なによりも、溌剌とした大人がいないからだ。
 それゆえ人は、若さにたいしてねたみ、そしる。

 ふたたびいう。
 若さとは年齢でもなく、見た目でもない。
 溌剌を体現するときの、その意志、その努力するときにしか生まれえぬものである。

 その努力をおこたり、むさくるしいスーツに身を包む。
 大人になれない人間が多すぎる。(2.10.03)





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