岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  きれないために

 余裕がない。

 きれないために必要なのはおもいやりでも、やさしさでも、慮り、というわけのわからない、在るのかないのか判らない抽象ではない。
 きれなくするには、一呼吸入れることである。
 一呼吸入れられるか、どうか、が問われるているのである。

 緊迫、硬直したときには、笑うことである。
 それよりほかにそれらを防ぎ和らげる方法はない。
 問題は、硬直したときに、笑うことが嘲る意味に誤解される場合がままある、ということである。
 ふたたびいう。
 精神の硬直を、精神の緊張を緩め、正常な判断をもてる可能性の高い状態へ、つまり冷静さを回復するには、笑うことよりほかに方法はない。
 脳はそういうふうにできている。
 熱いからといって水をかければすむというものではない。
 精神の興奮状態にある脳を冷やすには、水冷ではなく空冷である。
 それをユーモアの精神という。

 残念なことに、わか邦のひとびとにとっては苦手で、しかもその精神は希薄である。

 この国では笑いは不真面目を意味する。
 所詮おちゃらけであり、おふざけでしかない。
 下卑て、ひとを小ばかにし、くだらないものでしかない。
 笑いをもってひとを断じるときは、かならずちゃかしが含まれている。
 その程度である。

 笑いを見誤るのは、その本質を定義づけする努力を怠るからである。

 いまになって、病気には笑うことが一番いい!だ、と。
 いまさらなにを!真面目な顔でいうんだろう。
 悪い冗談かとおもってしまう。
 それがこの国の現況。
 それでもこの国では、そんなことにすら気づかないひとばかりなのである。
 かわいそうな日本人、かわいそうなわれわれ。

 余裕がないだけではない。
 なにか、どこかで勘違いをしているのだ。
 いまもなお。(11.4.03)




目次へ
fujun_sports