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海外で勝負するひとの
こころのふるさと、民謡
海外で勝負する。
それが日本人ならば、かれらは日本を忘れないだろう。
女優岸恵子さんが、日本の民謡をしばしば聴く、という話を聞いて、なるほどな、とうぜんなんだ。
海外で勝負する。
ということは、日本人を忘れることではないのだね。
逆に日本人であることを意識するように、意識せざるをえなくなるのだろう。
それが正常な反応というものである。
若いひとが海外へ渡る。
かれがいつまでも当地の音楽しか聴かないようでは、なにを考えているんだか。
他人事とはいえ心配になる。
きっとショートトリップのつもりなのだろうな。
いつでも帰れるから、どこか考えがあまくなる。
危機感のない意識は自立を促せない。
自立への渇望は当然孤独への挑戦状を叩きつけることである。
それは危機意識と同質で、同義である。
日本を忘れるということは、頭の中にある日本像を整理することなのである。
それゆえに、日本にいたときにはまったく意識しないですんでいた事柄、無価値だとおもいこんでいた物事の、それらの象徴として、民謡が日本になり、民謡こそが日本そのものになる。
民謡、フォルクローレ、フォークロア。
呼び名はなんだっていいさ。
歌を聴き、涙が流れる。
それが、こころの歌。
その歌こそ民謡なのである。
旋律が、日本の、東アジアの、こころの故郷をおもいおこさせるからである。
われわれの祖先は稲作を基本に据えてきたんだもの。
なんの不思議もない。(11.19.03)
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