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なぜひとは制度をつくりたがるのか
不況がながびいている。
たぶん、このまま推移するであろう。
不況が日常と化して、はじめて気がつくのではないか。
こんなものだ、と。
状況がかわらないいじょう、いち個人にできることは、その考え方を変えることである。
期待しないかわり、あきらめもしない。
所詮、いままでが浮かれていた。
好況が人為なものならば、不況もまさしく人為である。
経済において、人間の心理こそが第一であること。
経済の主体はひとでしかない。
・・・ずうっとそうおもってきた。
しかし、この考えがまちがい。
経済の主体はひとではなく、地球であり太陽である。
その影響下にひとがいるにすぎない。
地球にとってのひとは、ひとにとっての蟻である。
かれらに習性があるように、ひとにも習性がある。
それが制度である。
人はいつしか、祖先が編み出した制度にがんじがらめになる。
いや。
制度は意志を持たぬから、人をがんじがらめにしようとは考えない。
制度という鞍にまたがり、操るひとがいる。
ほんの少しのひとたちが多くの人を拘束する。
がんじがらめにされている、という受動態は正しくない。
人は人が産んだ制度にがんじがらめになっているとおもいこむ。
がんじがらめになりたがっているくせに。
制度に拘束されたがっているくせに。
貨幣という制度のしがらみは。
貨幣をつくったのはひと。
紙幣はたかが一枚の紙にすぎぬ。
紙幣は燃える。
紙だから燃える。
ただの紙。
それをたくさんもつものが富。
でも紙は紙。
自給自足者にはあまり関係がない。
制度は少なければ少ないほどいい。
法制化とかいうが、それが悪い癖。
制度をつくりたがる性向(くせ)も顕になる。(11.12.03)
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