岩井不巡 スポーツコラム
スタジアムで会いましょう

  打撃理論は有効か

 打撃理論は有効か。

 世にいうバッティング理論のほとんどは意味がないのではないか。
 なぜか。

 バッティングとは、わずかな時間の中で、判断をくだしているのではない。
 ただ、見るだけの選球ならば判断はつこう。
 しかし、その球を打返す、打撃、という行為を必要とする以上、そこにあるのは決断でも判断でもない。
 高速で投げられたボールを打ち返す。
 バッティングとは、わずかな時間のなかで、
 @いかに適切な反射ができるか。
 A力を一点に集中する回転運動がスムーズにできるか、でしかない。
 その可能性を、プロフェッショナルな場でアスリートたちは、30/100の確率を目指し、競っているのである。

 ボールを見る。
 といったって、ボールを追っているだけでは打返せない。
 上級者はボールをギリギリのところまで捕捉し、あとはコースを予測し、バットを振っているのである。
 もし、ボールを、バットにあたる瞬間まで追っていたならば、バントはできても、かならず振り遅れてしまう。
 打返す、という運動をふくむ競技は、すべてそうなのである。

 すると、構える姿勢は、いわばゼロの状態であればよく、いちばんリラックスできるフォームであればいいことになる。
 メジャーリーガーで一見すると、妙な格好に見える選手がいる。
 けれど、それが、その選手のリラックスした姿勢、ゼロの状態のイメージなのである。

 単純なことにみえる。
 単純だからこそ差は明確になる。
 あるかないか。
 持っているか持っていないか。
 だから、そこには、生まれもった才能をもつ能力者と、訓練による反射速度を磨きあげた能力者しか存在しないのである。
 とはいえ、たとえ能力者であろうとも、上達に必要なのはバッティング理論でもフォームを改造することでもない。
 工夫と練習しかないのである。
 その基本はなんら変るものではないのである。(10.20.03)




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